UDLR Log

マイペースな電子音楽制作者による長文サイト

UDLRのtwitter10年を振り返る

2010/6/10に始めて以来、主な自分の発信地となっているtwitter、いよいよ10年という事で色々と振り返ってみたいと思う。

長い年月なので自分語りの要素も多いが、なるべくSNS絡みで絞っていく。

 

参考URL

Twitter(活動拠点地)

Twilog(開始当初から現在までのツイートをほぼ網羅)

 

 

 

 

(1)序章

Twitterを始めたのは専門学校1年生の時だが、それ以前のネット発信は、マイナーなキャラクターの掲示板とか,pya!とか,簡易的なHP(URLは忘却。もう無いかもしれない)とかであった。

 

専門学校に入り自分のMacbookを入手してからようやく自分のネット発信ができ、その後twitterを始めるようになるが、これは興味本位というよりは学校の同級生や先生らとの交流ツールとして仕方なく始めた感が強い。その為周りは2010年の4月や5月から始める中で僕は6月と比較的遅かった。

 

周りと比べて始めるのが遅かったのはその性格だけでなく、始めるための段階が面倒だったのもある。当時メールアドレスは自分の携帯のしかなかったので、会員登録時にアクセスする必要があるURLは携帯のメールを見ながらPCで手入力してアクセスするなど苦労した。しばらくは携帯のアドレスでtwitterの通知を見ていたが、一ヶ月後に携帯のアドレスからGoogleフリーアドレス(gmail)が作成出来ることを知り、以降はそっちに切り替えている。

 

とりあえず、開始1ヶ月目とその翌月の分を見た感想

・目立った絵文字なども使わず、今みたいな淡々な感じなので他人から見ればあまり変わっていないように見えるが、僕から見れば多少の感情と滑りを感じている。この辺はネットで自分を出す試行錯誤の一種で、後から振り返るとやや恥ずかしいのは当然か。

・アイコンは当初から青いビル画像だが、開始直後は画像を設定していなくていわゆる「たまごアイコン」だった。これについては当時説明しており、その画像が入っていたPCが当時故障で使えず、それで画像を用意できなかったから。実際には自分のUSBにも残っていたので、後日それで変更することができた。

・ツイートや日記などでよく使う「とりあえず」だが、当初は「とりあいず」と勘違いしており何回も出てくる。その後間違っていると気づいた事で正しい表記にできたがその後も数回「とりあいず」が出ていた。(参考)

・学校の課題やアルバイトを面倒に感じて追われていた様子が度々出ている。アルバイトは早々に専門学校に行くことに決めた事で空いた時間を有効活用しようと親に言われて始めたもので、高校3年8月-専門学校1年の8月まで1年間スーパーで勤めた。

・当時の主な失敗は、自分のMacbookを学校に忘れたまま帰宅する、アルバイトで自分の荷物が入ったロッカーの鍵を紛失しその日は手ぶらで帰ることになり,翌日スペアキーで開けてもらう羽目になった、など。まぁその辺の失敗は自分の人生の中でも大きい方で、その後は就職活動で財布を持っていかなかった失敗くらいかな。

・学校関係者と繋がる為にtwitterを始めたものだが、当初は同級生などを自分からフォローせずひっそり見ていた。まぁこの期間はtwitter発信の試行錯誤で、後は内容的にも個人的すぎたからこの辺をあまり見られたくなかったのもあっただろう。実際にフォローし始めたのは1ヶ月半くらい後であった。

 

とりあえず(←正しい表記)、初期だからそこそこ詳細なピックアップをしたが、毎回そんな感じでやるのはしんどいので、次からはサラッと触れます。

 

 

 

 

(2)模索期

専門学生1年目の10月の学園祭で、販売物としては初めての作品の販売を経験したが、周りの音楽よりも地味な反響に終わってしまい凹んだ出来事の後に多少の模索をする。その後くらいにDJ TechnorchHardcore Tano*Cなどの作品やDJmixをきっかけにハードコアテクノにも興味を持ち、別名義「Dr.UL」として動き出すようになる(後述)。

 

あとネットの活用も増え、例えばLogicで使うAUプラグイン(VSTプラグインMac版みたいなもの)でフリーで使える音源やエフェクターを色々と探したり、一応テクノ音楽もそこそこ作れるようになったという事でネットで募集している企画に挑戦したりネットの音楽制作者とやりとりするなど、専門学校より広い範囲の繋がりを意識するようになっていった。

 

そんな時期の大きな出来事といえばやはり東日本大震災。実はその2日前にも地震があったようで、地震津波に関するツイートをしていた。
で、地震発生直後からタイムラインがざわついており、その後に津波も発生し中継を見ていた僕もショックを受けた。
この地震ではネットで様々なデマ情報が飛び交った事でも印象的で、実際に僕のタイムラインでも色々なRTを見た。それらを整理して自分なりの同意見を拾う意味でも、デマっぽいというかそれをそのまま真実として見るには危険なツイートは避け、個人的には(もし直接的にはデマでも用心するに越したことはないのを含めて)注意喚起になると思ったのをメインに選んでRTしている。
Twitter上で経験した初めての大きな災害であり、「災害時は災害特番ばかりで普通のテレビも流してほしい」とツイートして当時のフォロワーから怒られるなど、公に向けてのツイートで今まで以上に気を遣う(もしくはツイートしない)きっかけにもなった。

 

 

 

 

(サイド1)別アカウント紹介

メインアカウントは当然UDLRだが、別キャラクターとしてDr.ULを思いついてから複数アカウントの構想ができている。ここでは現時点で僕が他に管理しているアカウントを紹介。

 

Dr.UL

Dr.ULとは、普段テクノやアンビエントドラムンベースを制作するUDLRに対して、ハードコアテクノ全般を制作する為に生まれた名義。主な活動期間は2010-2014年で現在はストップしている。その理由はそもそも90年代-2000-10年ごろまでのやや古くて親しみやすいハードコアテクノに興味を持っていたのであって、以降のゴージャス感とかEDM感とか感じる大衆的で敷居が高い方向性になったのには興味が無くなったのが大きい。後はハードコアテクノ専用の音源やサンプルを用意するのも面倒だったり、そもそも何回も聴いての制作スタイルに個人的に合わなくなったりなど、色々な意味で消極的になっている。総じて「何かせねば」という学生時代ならではの取り組みだった。

 

で、このアカウントは専門学校1年目の2011年2月から開始し、特に現役学生だった2012年4月までは頻繁にツイートしていた。授業の暇つぶしだったり、UDLRとは別アカウントのを利用して会話するという自作自演をやったり、とにかくしょうもないツイートばかりやったりなどしていた。
卒業後はそんな悪ふざけの必要が無くなったこともありツイート数は減ったが、たまにバカ・エロ方面でツイートする為のアカウントとして存続している。例えば表アカウントで言えない風俗経験とか、若干グロ・エロ要素を含んだ要素のピックアップや感想とか。最近では社会的な事(具体的な政治とかではない、それはあまり興味がない)や最近興味を持っているアイドルなどのピンポイントな事を言いたい時にもこのアカウントを使用している。
裏アカウントだからと言って下品なキャラクターに扮する等はせず、キャラクターはそのままで内容で区別しているので、結果的には表アカウントの補完的な意味合いが強い。その為、このアカウント単体では普通の事は言わず、エロとアイドルが混同した不審な印象に見えるかもしれない。その辺だけは改善の余地はありそうだ。

 

ドラムンベースbot

2012年5月開始。主に僕が気に入ったドラムンベースyoutubeリンクやDJミックスやフリーEPの紹介をするbot

 

僕がドラムンベースに興味を持ったのはほぼテクノと同じ時期(高校時代)である。例えばUnderworldの「Second toughest in the infants」の2曲目(banstyle/sappys curry)とか,Ken Ishiiの「Jelly Tones」の4曲目(Ethos 9)など,テクノアルバムの中の独自ビートと幻想的な雰囲気の曲が印象に残っていたし、ニコニコ動画にあったドラムンベースの曲を合わせたmix動画も好きだった。そんな感じで、テクノの中にドラムンベースのエッセンスが入っていた前述の2枚と、ドラムンベースだが初期テクノの幻想感が含まれる「4Hero / Parallel Universe」が個人的な電子音楽の「3種の神器」であった。

 

そこからドラムンベースの表現は音楽制作のきっかけの一つになり、実際に幾らか試みているが、専門学校後期まで上記以外のドラムンベースをあまり見つけられずうまく発展できなかった。その後ブックオフ90年代中盤のドラムンベースのコンピCDを見つけたり、打ち込みで作ったような簡易的ドラムンベースと言えるPariahなどの音楽などを知って、ドラムンベースの知識を深める事ができた。2011年以降7分以上のドラムンベース曲を作ったりEP「Dreamy Blast EP」シリーズを制作したのはその辺の影響が大きい。

 

で、PariahやFuture EngineersやJ-lazeなど、特徴的なサウンドを感じるアーティストやその周辺を好きになったり、そのアーティストが参加しているレーベルやコンピレーションを探して買って聴いたりなど色々広げるうちにyoutubeで色々お気に入りの曲動画が集まった。当時テクノとかエレクトロニカとか曲紹介するbotがあったが、ドラムンベースは無かったこともあり、早い者勝ちというか「なぜドラムンベースbotは無いのか」と考え、定期的に色々紹介できるだけの量も集まったということで始めたのがこのbotである。

 

主な特徴は以下の通り、現在もたまに編集している。

・3時間に1回ツイート

・視聴版みたいなフル尺では無い曲動画は使わない

・リンク切れになっているのを確認次第、その曲ツイートをリストから削除し、もし別URLにその曲が存在していた場合は差し替える

 

bot開始から8年以上経ち、当時あった音楽botの多くはツイートを停止になったり、編集してないからリンク切れのツイートも多々見かけるようになっているが、それでは紹介し続ける音楽botとしてはダメだと思う。その辺を反面教師にして、常にTL上でドラムンベースを紹介し続けるのを最大の存在意義としてこれからも管理し続けていきたい。

 

S2A_dashed

アカウント開始は2014年12月からだが、現在のスタイルになったのは2018年8月から。元々このアカウントはtwilogでも残っている通りポイントサイトのゲームで結果ツイートしてそのポイントを追加ゲットする、という為のアカウントであった。2017年中盤にその必要が無くなりしばらく放置だったが、翌年にしょうもないツイートをする為にこのアカウントの以前のツイートを削除しフォローされていたアカウントをブロックしてまっさらな状態で始めることにした。

 

内容は一言ツイートで、「?」と感じるような組み合わせ、実在しそうでしなさそうな名前など、掴みどころが無い、他のところでは見ないオリジナリティを狙っている。何かのパロディになりそうな具体性や誰かの中傷になりそうな攻撃性は避け、純粋な「?」を追求し続けているつもりである。

 

ポイントとしては上記以外にも、頭の中で浮かんだものを脳内で読んでみて、それが奇妙な味に感じるかどうか。それと、思いついて良いと感じた段階でできるだけ早くツイートにする事。
そんな訳でPCの前で浮かんだものにしか形にならないので、実際のツイート数の何倍も「会心作」ができていた。しかし、思いついてしばらくそれの味を楽しんでも結局忘れるし、無理して覚えてPCの前まで保存しても、面白さの鮮度が落ちておりツイートする気にならない。PCの前でのしょうもなさの瞬発力が試されている。


実際にツイートされ形になったものの中で特に印象に残ったのは、時折思い出してその語感を楽しむ事ができる。謎のかっこよさを残す「公算ブラッシュワーク」とか、謎の脱力感「figよしろう」、楽しめるかどうかわからない「皮肉バイキング」、陽気な「洋子ハロマンシャル」、躓きそうな「たつづ次郎」、何か頑張れそうな「ダストマンファイティングスピリッツ」、曲者感がある「ヤムロ・デバイド」、皮肉が効いた「ハイハイも出来るイエスマン」、怒っているのにポップ感がある「憤慨エポック」、無理矢理かっこいい「新和製最終伝説」、ヤケクソ感が強い「青春ジャクソニア」、噛む組み合わせでは意味不明度が強い「噛む人事異動」、などがお気に入り。

 

 

 

 

(3)全盛期

専門学校中盤から卒業後しばらくまで、一日あたりのツイート数はそれまでの一日平均ツイート数を超える数(例えば26.7/日なら、27ツイート以上)のツイートをしようと努力していた。その辺がツイート頻度の意味では全盛期だろう。
主なツイートの内容は、例えば起床したり風呂に入ったり,幾らかのニュース記事をピックアップして一言呟いたり,診断メーカーの結果をツイートしたりなど。すっかりそんなツイートしなくなった今となってはまさにツイート数を稼ぐための無理矢理感も少しある。

 

一方で音楽制作的には専門学校の2年目でアルバム5枚(UDLRのアルバム2枚、友人との共作1枚、ハードコアテクノのコンピレーション2枚、マスタリングやCD生産などは全て自分で担当)、卒業後もCD化しなかったアルバム(Square)やドラムンベースEPを挟みつつ、その年の学園祭にもアルバム(Objects)を制作するなど、この時期は多作であった。外部参加でも2012-2013年が一番多く、その辺でも全盛期感が出ている。

 

その後のプライベートな説明としては専門学校を卒業して、その時は就職できていなかったのでのんびりしながら学校で求人を探し、2ヶ月後に就職が決まり、でも派遣社員だったので年末で任期満了で退職、以降はweb制作を学ぼうとPC学校に1年間勉強、という流れであった。
PC学校の1年間は、web制作だけでなく社会的な取り組みに関する実践授業や卒業発表などもあり、大学の4年目と考えれば悪く無い取り組みだったが、派遣社員で得た給料の多くをその学費に使った事もあり、web制作を学ぶだけならもっと良い選択肢はあったはず、というのが個人的な結論。結局、自分のHPを作れるようになった事が最大の成果に留まった。

 

 

 

 

(4)衰退期

2013年に1日あたりの平均ツイート以上のツイート数をしなくなり、PC学校に入学して以降は徐々にツイート数が減っていった。それに伴い、「起床」「さて寝る」「さて仕事へ」などの単純な行動ツイートの割合が増えていく。ツイート数が減ったのは前述のPC学校内での取り組みで「1ヶ月ごとの報告をする」事があったので自分のテキストファイルで日記をつけるようになり、そっちで振り返ったり表現する事が増えたのもある(一方で日記で記したテキストをtwitterでそのままツイートする場面もあった)。 そんな訳で、この時期(2013-2017年)は長いはずだが、twitter的に特筆すべき要素がなく振り返りにくい。

 

プライベートな説明としては、2014年4月にPC学校を終えたがそれで仕事には繋がらず、結局普通の求人で物流の仕事に就くところから始まる。物流の仕事は充実しそこそこ痩せるほど動けた。

2014年は音楽制作では初めてアルバムを作らない年となったが、これは家(当時マンション)でスピーカーなどで大きな音が出せない事から「ちゃんと音楽を確認できるのか」というフラストレーションが発生し、それと仕事の充実が重なったのが主な理由。制作はしていたが完成には至らず、一部は次作以降に流用している。

2015年に当時一人暮らしをしていた祖母の介護を家族で行う必要が出てきたという事で長年住んでいた所を離れて祖母の家に引っ越し。それと同時にモニタースピーカーを導入する事が出来て前述の問題を解決できた。

2016年後半に、以前派遣社員の時にお世話になった社長から誘われ、急遽それまでの仕事から工場内の物流の正社員に転職した。それでしばらく頑張ったが、出勤の時間が早い事と,家と勤務地が遠い事に納得しきれず、「一時的な金稼ぎとしてはアリだが一生の仕事としては違う」と思い退職を決意、2017年5月に社長に年末の退職希望を伝えそこまで頑張った。

こんな感じで中盤までは仕事など充実した気持ちはあったが、頻度が落ち始めたtwitterの勢いが全盛期を取り戻す事はなく、「大体3年で飽きる」という個人的な法則の通りマンネリ感が目立った時期となった。

 

 

 

 

(サイド2)別SNS紹介

twitterだけでなくいくらか別のSNSも使っている。一時期「TwitterFacebookだけで十分」と思っていたが、現在は一応他のも活用している。流石にTikTokはしないけど。

 

facebook

2011年3月に登録。これも専門学校時代に必要を迫られた事によるもので、要はtwitterと違って実在の人物同士の繋がりを表現するためのものかなぁと思っている。

 

一時期は専門学校内での近況報告とかUDLRとは違ったやや俯瞰的な見方で解説するなど微妙なポジションの違いを活用していた。しかし本名でやっているので、当然小中学生の同級生などがこっちを知ると繋がるようになり、専門学校以前と以降で空気感が違うと思っている僕にとっては使いにくくなっていく。加えて、単純にSNSの発信頻度自体も減り、facebookならではの言いたい事もほぼ無くなった。

 

現在では今繋がっている人の発信をたまにいいねしたり仕事や学校関連で本名で改めて繋がりたい時にフォローするなど限定的な活用に留まっている。今後facebookでこっちから発信するのは「結婚しました」とか「音楽の仕事しました」とかぐらいか。今のところはどちらもその可能性は低い。

 

・LINE

2015年8月登録。当時携帯はフィーチャー・フォンだったので先月購入したばかりのipadを使って無理矢理使用していた。2016年10月に携帯をiPhone7にしたので以降はそっちに切り替え、使用頻度がやや増えている。

 

使用動機は不純である。もともとはDr.ULのツイートの通り、ポイントサイトからアプリをインストールしてポイントをゲットしたいという事で、そこにあった出会い系のアプリをインストール、そこでのやり取りを発展させたいと思ったので急ぎ気味でLINEを導入した。もちろん、途中で個人ではなく業者っぽい事に気づいたことでこのやり取りは意味が無くなり、しばらくLINEもそこで止まっている。

 

現在の主な使い道は飲食店などをフォローしてクーポンを活用したり、知り合いに手っ取り早く繋がるためにLINE交換したり、出会い系漫画喫茶で知り合った女性にLINE交換したりなどで、下品な目的も強いが一応毎日チェックする程度には活用している。

 

instagram

2018年2月登録。後述の純粋期の頃に色々散歩して写真を撮り、Adobe CCも導入(現在はフォトプランのみ利用)したという事で、自分なりの世界を構築しようと始めたグラフィック・アカウント。

 

一部を除いて基本的にモノクロ写真で、僕はモノクロならではの閉鎖感を気に入っている。これらの一部を流用してmonoLRUDLRの作品のジャケット画像に使ったりもした。一時期そこそこ集めて現在は新しいのを出していないが、個人的にはこの状態で満足しており、でも新しく写真を撮ってモノクロ化して出すのもアリ、という感じである。

 

最近の他の利用法としては、アイドルを卒業して一般人になってた人がインスタを始めたという事でその近況を見たい為にinstagramにアクセスする事が増えた。卒業時は心配したが元気そうで何よりだ。

 

 

 

 

(5)純粋期

2017年末に自分の希望で退職したが雇用手当は適用できるという事でしばらくのんびりを再開し貰えるものを受け取りつつ、その後は2014-2016年の物流現場に復帰し現在に至る。

 

この頃(2018年以降)から「1日1以上は何かツイートしないと心配される」と思っていたのが無くなり「起床」とか「さて仕事へ」とかの行動ツイートもしなくなった事でツイートが無い日も増えていく。twitterの発信頻度は過去最低だが、「起床」「さて寝る」しかツイートしかなかった日が多々あった時期よりも意義を感じている。この方が後から振り返る時に意味の無いツイートを見なくて済むし。

 

通常時は発信頻度は少ないが、個人的に気になった事象があればそれについて自分なりに考えた事をツイートしたり、他に同意できる意見をピックアップしたりして、その時はよく表に出る。具体例としては去年のテクノミュージシャンの逮捕とか、数ヶ月前からずっと続いている流行病関連のニュースとか。こういうコメントはtwitter初期と比べると慎重かつ自分なりのコメントが出来ているので成長にはなっていると思う。

 

あとは去年からアイドルグループ、特に日向坂46などの坂道グループが気になっており、公式やファンなどの様々なツイートを頻繁に見ており、それもあってtwitterを閲覧する頻度は数年前の時期よりは増えている。

 

そんな感じで自分のtwitterはまだまだ現役であり、twitterが終わってしまう事はあまり考えたくない状態である。様々なアカウントや会員よりも長いホームグラウンドになっている。

 

 

 

 

(6)総括

という訳で10年は長く、確かにこの間に学生生活を卒業したり仕事が数回変わったり家も変わったりしているが、自分としては経験値が増えた以外の根本的な所はあまり変わってないと思っている。まぁ経験値が増えたからこそ、細かくブレていた所を固める事ができているが。

 

むしろ自分よりも周辺が変わったんじゃないかなぁと思っていて、例えばゲーム会社のサウンド担当になったり,音楽ゲームに進出したり,結婚したり,など、多くがクリエイターや人間として順調なステップを歩んでいるように見える。一方でここ数年でほとんどtwitterで見かけなくなった知り合いやクリエイターなども多々いる。

 

停滞期がありながらも辞める事が無かったのは、twitterでの自分の表現や存在に自分らしさと意義を感じていたからで、周りが変わってもこっちが変わらなかった事には焦りもあったけど安心感もあった。

 

その辺は自分の音楽も同様で、学生から社会人になる間に様々な憧れ(スポーツ実況ができるアナウンサー、monogpのバイクレーサー、舞台上で自分のやり方で笑わせたり,様々な芸能人やアイドルを仕切れるMC力がある芸人、など)ができても、憧れ程度に留まったのは、自分の中の音楽のオリジナリティを軸にマイペースに生きていく方が,何かの実現で他のイメージが出来なくなるより良いという感じで判断していたはず。まぁその時は単に音楽優先という感じなんだろうけど。

 

今回よく出てくる「自分らしさ」を今思いつく範囲で説明するなら、自分で出来る事は人に頼まずなるべく自分で完結する、周りに無理して合わせない、落ち着いた空間が好き、一人で試行錯誤するのが好き、凝りすぎた設定などは好まない、自分で自分と会話するのが好き、自分がされて嫌だと感じた事は自分ではやらない、言葉よりも風景や音で表現してイメージさせるやり方が良い、衝突するくらいなら距離を置く、自分でできる範囲で表現する、悩む事に対して自分なりの答えは必ずあると思っている、その時決定した事は本当に正しいかどうかは分からない、説明するより実践で見せる方が良い、まずは慣れを目指す、心の中を読まれる可能性を考え汚い表現などの使用は避けたい、何回でも説明しても良い、攻撃性を出したくない、集団の中に自分から入るのは好まない、苦手な人を避ける為なら頑張る、一人でなんとか乗り切れる時が一番頑張れる、など。まぁそんな感じ。

 

あとは最近でも問題になったSNSの中傷などについて思うところは色々あるけど、個人的に言いたいのは上の「自分らしさ」の中でだいたい含まれていると思う。残念ながら全員がそんな考えでは無いので個人が持つ感情の可能性は避けれないが、せめて厳罰の実例があれば抑止力にはなるのではないか。
僕が10年前にtwitter始めた時に比べてSNSを始める敷居は低くなっており、良い意味でも悪い意味でも気軽に出来てしまう。もちろん幾らか教育での対策はあるだろうけど、出来るだけ様々な実例で反面教師を知った方が良いと思う。

 

とはいえ、どんな事でもやはり経験の過程で何らかの失敗はするし、失敗を経験する方がルール遵守を意識しやすい。それで僕がアドバイスしたいのは、「ミスをしないよりも、ミスに気づく事が大事」で、その方が色々対応しやすいと思う。一発アウトなミスはもちろんダメだしそれを防ぐ為の教育は必須だが、初心者は丁寧すぎるくらいが丁度いいので、サポートがある内に自分のやり方を見つけてもらいたい。

 

2020/6/11

UDLR

(今後随時修正する可能性あり)